リタイアと自由の話 2026
今回は久々に仙人生活カテゴリー。
早期リタイアして10年とちょっと、もうすぐ年金受給年齢となって来た今日この頃。ふと気がつけば周りの同世代のみなさんたちも普通にリタイアする年頃になっています。
はじめに
先日ちょっとした集まりで、めでたく雇用延長の満期を終えリタイアした方が「リタイア後”自由っていいなあ”と最初は感動していたが、すぐそう思わなくなった」とぽつり。
いやいや、自由っていいんですよ。そんな自由について思うことをつらつら書くのが今回のお題。
その1 自由が普通になる
まず、思ったのはリタイアすると「自由が普通になってしまう」ということ。「自由」それ自体が何かの快楽を生み出すわけでもなく。自由が楽かそうでないかは、その人次第です。
マズローの五大欲求は、「生理的・安全・社会・承認・自己実現」。そういえば、ストレートな「自由欲求」ってないんですよ。これらの欲求を脅かす存在として会社があった場合、会社からの「自由」は欲求達成の手段にはなり得ます。しかし、5大欲求の源が会社だった場合はどうでしょう。会社からの自由は逆に欲求を阻害するものになります。
後者になってる人も多いのかなと思います。となると、会社にいる方が「自由」で「普通」ですかね。
その2 本当に自由になるのはむずかしい
もう一点。会社を辞めてみてわかったのは、「会社を辞めたぐらいで自由になれるわけではない」ということ。
たとえば家族や社会との関係は残ります。早期リタイアした時点で子育て中の人。親や配偶者の介護がある人。人生いろいろです。誰しも会社とそれ以外の場所で、自由と不自由を天秤にかけている、みたいなところがあるのでは?
私の場合は、早期リタイアの目的の一つに母親の介護がありました。これが私自身の自由を制約していたわけですが、数年前に母が亡くなって以後、私が自由になったかというとそうでもない。自由への道は果てしなかったのであります。
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閑話休題。現代ニッポンでは多くの方がいつかは何らかの形で経済的自由を得てリタイアします。早くリタイアしたい人、長く働きたい人、いつかはそのときが訪れます。そのとき何をするのか。一つだけ言えるのは、
何かを始めるには体力がいる
ということであります。いつサラリーマンを卒業してリタイアするかは、そんな自分自身とのトレードオフなのでありました。
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