FIRE(ムーブメント)は、なぜ生まれてきたのか?
他人のFIREを笑っている場合ではない
動画中の発言にもありましたが、そもそもFIREってなあに?という話かなと。突っ込みは2点。そもそも論です。
(1)FI(経済的自立)できてないじゃん
(2)RE(早期リタイア)できてないじゃん
「ちょっと仕事につかれたんで長期休暇を取って人生勉強してみました」「脱サラしてみたんだけど経済的に苦しくなりました」。客観的に見てしまうと、そういう結果な人をFIREと呼んで良いのか。そこでこけちゃいます。
(1)は、「資産の減少に耐えられない」ケース。たとえば「FIというにはお金が少なすぎる」「合理的な判断ができないメンタリティ(足りているのに足りないと感じる)」「リスクを取り過ぎている(お金が少なすぎることに起因している場合も)」なんてあたりが考えられます。
(2)は(1)に起因しているケース(お金が足りないのでバイトしている)の他、大きいのはモチベーション。リタイアによってマズローの五段階欲求のうち社会的欲求以上を一気に失ってしまい耐えられなくなるケース。
↑ 8年前の拙記事。早期リタイアに限った話ではありません。「他人のFIREを笑っている人たち」にもいずれ訪れる可能性のあることです。
FIRE(ムーブメント)とはなんなのか?なぜ生まれてきたのか?
ここには、個々人の「生き方」の問題だけではなく、社会的な背景があります。資本主義社会が抱えるいくつかの矛盾。それに対するカウンターとしてFIREは生まれてきたのではないかと。
- 働くより資本を持ってる方が効率的(ピケティの法則)
- 貴族じゃなくてもインデックスファンド一発でその恩恵を受けられる投資環境
- 多くの人が、年数百万程度の収入で生活しそれなりの満足を得て生きている。お金はそんなに要らない
- 収入の増大に伴う消費の拡大は地球環境(サスティナビリティ)によくない。お金の使いすぎは良くない
- 自分が本当やりたい活動では往々にして生活費を稼げない
- 現実にできる仕事の職場はオーバーワークで精神的にもきつい
- 社会も会社も若者を育ててくれないどころから搾取する
- やってられるかっ
そんな残酷な世界における弱者の逆転願望の表れのひとつがFIREというコンセプトなのです。
冒頭の動画で個人的にいささか不快感を感じる点は、そんな弱者の願望を、勝者たちがFIREとは言えないような事例までも担ぎ出して上から目線で語る空気感でしょうか。まあ、表の世界に立つとFIREは肯定できないですよね。
ちなみに、私?
私は、定年まであと5〜6年というところで会社からお払い箱を言い渡されただけのちっぽけな人間です。FIREだなんて滅相もありません。