孤独は密かな愉しみ
アーリーリタイアしてからかれこれ5年。最近は、年代の近い先輩諸氏から「定年になりました」という連絡をよく受けるようになりました。
はじめに
そして「とは言え、再雇用でまだ働きます」「次の仕事も決まってます、心機一転」と続くのが定番。長年専業主婦だった人も、子育て終了するとパートで働き出して、そのまま、長時間勤務に突入。厚生年金も入っているという人も多いです。(これ自体は良いことです)
ただ、「働かないでごめんなさい」という恐縮の念なのか、「会社員コミュニティに参加できない」という寂寥の念なのかはわかりませんが、このとき感じるのは、私はマイノリティー=孤独なんだなということです。
アーリーリタイアしてこの方、どんだけ孤独だったのか振り返るべく、「孤独」をキーワードに私の仙人生活エントリーをピックアップしてみました。
時系列順に並べてみましたが、思ったより少ない・・・読み返してみるに私、やっぱり孤独と感じていない模様です。我ながら面白い。大きく2つの理由があります。
孤独は密かな愉しみ
ひとつは、実態として孤独じゃなかったということ。家族もいるし、労働とは関係ない活動をともにする仲間もたくさんいます。そして活動できるほどには健康です。会社を辞めたくらいでは孤独になりませんでした。
しかし、そんな私がいる一方、実は私、孤独が好きなようです。これがもうひとつの理由。前から気が付いてはいたのですが、今回のコロナ自粛で確信しました。
私にとって「孤独」は密かな愉しみだったのでした。より正確に言うとしたら、「孤独な時間があるからこそつながる世界があり、その世界において私は孤独ではない」のです。
これは、ネットの発達とも密接な関連があります。良い時代です。
リタイアすると孤独になるという現象は、過去の遺物になるのかもしれません。労働するしないではなく、好奇心の有無こそが孤独かそうじゃないかの分かれ道。世俗に対する好奇が薄れ「咳をしてもひとり」の域に私が到達するのには、もう少し、時間がかかりそうです。
ところで、今回、「孤独」という文字ばかり書いていたら、ゲシュタルト崩壊して一瞬、「孤独」が「孤独」に見えなくなりました。そんな今日この頃です。
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