自由はその辺に転がっている
私もサラリーマン時代、時折感じたのが、世の中、不自由だなということ。
自由はその辺に転がっている
でも、いざ早期リタイアしてしまった今の私が最近思うのは、今の日本はけっこう自由だったんだな、ということです。
自由はその辺に転がっていたんです。
肩の荷が下りて気が付いたというか。サラリーマン時代も思えば自由だったし、なにしろ自由の度が過ぎて退職勧奨されるに至ったほどです。
自由は、自分で見つけて自分で拾いに行くモノなのであります。
社会があるから自由がある
自由と引き替えに、失うものもあります。地位なり、お金なり(これは「減って行く」かな)。また、国家が個人から自由を奪っている、その象徴が税金や社会保険料である。みたいな考え方もあります。
ですが、今の私は、そうは思ってません。地位は価値観が変わるだけ。お金は死ぬまであればいい。税金と社会保険があるから私は自由でいられる。そんな風に思ってます。
先日下記エントリーで言おうとしたところは、不自由の象徴のように捕らえられがちなモノが、実は自由への切符だったという視点です。私自身の過去の蓄積だけではなく、世の中があって家族がいて、その他いろいろなモノがあるからこそ、今の私の生活があります。
自由とは青い鳥
表だって世の中「不自由である」と騒ぐと、かえって自由が消えて行くような気がするんですよね。超ローコストな投資信託や、超割安の成長企業が、ひっそりと存在しているのと同じで、自由とは、ひっそり存在していた方が良い。黄金の羽根は目立っては、いけないのです。自由とは青い鳥。見えないけれどいつもそばにいるのであります。
コメント