自己責任の時代をサポートするのは誰か?
ムスコと確定拠出年金の話をしていると、資産形成、そして、その手段としての投資がいまいち普及しない理由の一端が見えてくることがあります。
資産形成を拒む二つの要素
それは、資産形成を阻んでいるのは、
- お金のことを考えるのがめんどくさい
- 目の前にあるお金は使ってしまう
という人間の二大特性なんだなということ。
まあ、ムスコは私の分身でもあるわけで、自分の20代30代を思い返すに人のことは言えません。そんな私でも、なんとか老後のメドを立てることに成功したのは、
- 会社が勝手に退職金を貯めていた。
- 会社が勝手に年金を払っていた。
- 会社が、どう見ても市中より有利な条件で社内預金と持ち株会を薦めてくる。
正直、会社と国に頼ってきたところも大きかったわけです。
自己責任の時代をサポートするのは誰か?
そんな私も、20年くらい前にこれからは自己責任の時代だと言うことに気が付き、投資をするようになりました。おりしも、大きな銀行や証券会社ですら破綻し、多くの会社がアラフィフになった団塊の世代を狙ったかのごとくリストラを始めたころです。
現在、金融庁殿が推進したいと考えているのは、諸外国に比べて極端にリスクをとらないニッポンの金融資産の改革。そこにあるのは、このままでは日本は真綿で首を絞められるがごとく貧乏になっていくという危機感です。必要なのは自己責任。日本が貧乏になるのは政治が悪いと唱える人も相変わらず多いですが、政治のせいにばかりしている姿勢こそが貧乏を招く行為なのです。
とは言え、若いうちに自己責任で老後を見通せというのもいささか酷です。
やはり、これまで会社がやってきた役割を誰かがやらなくてはいけない。自己責任なので他人には頼めない。となると、その役割を本人が気が付くまで親がやっていくしかないのかなあ、と思ったりもしています。
余談
こんなことを考えていると、ふと思い出すのが、私がコドモのころ、何かの折に母が言っていた
「会社は最後は冷たいよ」
という言葉。
私が自分の息子であることすら忘れたりする今の母にその真意を確かめることはかないませんが、まだまだ戦後復興の昭和20年代後半〜昭和30年代前半に銀行の人事部に勤めいろんなシーンを見てきたがゆえの言葉だったのではないかと思います。銀行の人事にいた責任感を持ってますから、そんな個人情報、家族に漏らすはずもなく、やがて、ほんとにきれいさっぱり忘れています。
しかし、今の私が忘れちゃいけないと思うのは、自己責任の時代なんて言ってるけど、実は昔からそうだったと言うことなんです。
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