損得勘定だけで判断しているわけではないという話
ついついしたくなるのが損得勘定です。
ついつい損得勘定をしたくなるもの
たとえば、ちょっと前のエントリー(サラリーマン稼業を辞めるとき)では、「元を取る」という表現をしましたが、そこには損得勘定があります。一方で、サラリーマンには、哀しくもありがたい次のような特性があります。
- 成果主義の時代とは言え、年功部分はある。(たとえば元が取れる年収になるには20−30年くらいはかかる)
- シニアな年代になると転職がむずかしく、年収は大きく下がることも多いので、年収が半額になっても再雇用で会社に残るのには金銭的には合理性がある。
- 厚生年金の積み上げが増えるのも年収が増えるサラリーマン後半戦。最後の追い込み部分が大きい。
- それ以外にも社会保険などの税制面でいろいろラク。(確定申告の時期になると痛感)
きりがないです。サラリーマンって最後まで勤めないと元を完全に取ることができないように設計されています。その分、税金や社会保険料を払うわけですから、国家ともウィンウィンの関係にあります。
私のもらった早期割増退職金にしたところで、かなりの足しにはなりましたが、それだけで元を取り切れていたわけでは当然ありません。
年金なんかもそうです。繰り下げるか否かなどなど、これまた、ついつい損得勘定をしたくなります。でも、年金は長生き保険で、そうなるように日本最高の英知で巧妙に設計されていて、カンタンに論破できるようなところに黄金の羽根は落ちてないのです。
・・・でも、多くの人が、ついついつい、損得勘定しちゃうんですよね〜。
損得勘定ではなく生存勘定で決断してみる
損得勘定で考えてしまうと、たとえば、私のようなサラリーマン人生後半でのアーリーリタイアは決断できません。どう考えても辞めない方がトクです。なので、金銭的な損得であれこれ迷っている人には、「アーリーリタイアはやめといたら」ということにしています。しかし、それ以外の理由であればまた話は別です。
実際、私は、金銭の損得勘定ではなく、いわば、生存勘定でアーリーリタイアを決断しました。
よく言われることですが、人生では、お金よりも大事なこと、金銭価値に変換しづらい損得というのがあるんですね。死ぬまで生きるために必要なお金だけではなく、それより重大な「家族」「健康」そして「自分にとって人生を有意義に過ごすとはどういうことか」。「生存」とは、「自分がどう生き延びると幸せか」という、そんな話なのです。
余談
シニアの転職がむずかしいという話でふと思うのが、リタイア後の収入源です。これは、けっこう重要です。「副業・アルバイト」「(前倒しでもらえる)企業年金」「自分以外の家族の収入」などでしょうか。
この中では、私が一番たいへんと感じるのは、副業・アルバイトかな。「頼まれての副業」とか「やりたいことをやってたら仕事になっちゃった」というならともかく、自分から探しに行くことは、もはや、ないんだろうなあ。
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