第二の人生について考える
第二の人生という言葉があり、私は、よく考えると、ちょっと早めですが、そこにいます。
第二の人生の意味はいろいろ
第二の人生というのは、スポーツ選手などでは積極的かつ切実な活動ですけど、サラリーマンの場合、イコール「定年退職生活」イコール「老後」という風に一般的に捉えられています。ただ、私自身を俯瞰してみるに、今の状態は明らかに「老後」ではありません。
(1)Stage 1 サラリーマン時代
(2)Stage 2 第二の人生
(3)Stage 3 いわゆる老後
みたいな3状態があって、私の場合、Stage2=「アーリーリタイア」=「長期休暇オプション付き超零細自由業」という選択に相成りました。ライフシフトという本で最終的に描かれるような縦横無尽な生き方ではなく、割と着実で堅実です。
知らない間に第二の人生状態
ただ、思うのは、サラリーマンのStage1は一つのステージではなく、現役時代とラインからはずされ再雇用という状態の二つがあり、サラリーマンと言えど会社員生活後半では「知らない間に第二の人生状態」になってしまっているのではないか、ということ。
ここでの人生の選択としては、「消極的ではあるけれどもこれもまた人生と捉えるポジティブ思考」と「いやもう少し積極的な選択をしたい、それが人生と捉えるポジティブ思考」という二つのポジティブ思考があります。
最近、いろんな人と話していて気が付いたのは、50代以上は、もう何でも良いから長く働き続けたいという人が多いのに、アラフォー世代は、アーリーリタイアしたいという人が多いような気がすること。もちろん、私がアーリーリタイアしているのでそういう指向の人と話すことが多いためだったり、アラフォーは働き盛りで仕事がつらかったり、50を超えると一般的に新しいチャレンジより惰性となりがちだったり、というようなことが背景にあるとは思うのですが、それだけではない時代の変化みたいなモノも感じています。
一生成長してみたい
今、私が思うのは、人間は、意志を持っているうちは、一生成長するべきなのではないか、と言うことです。
60歳の平均余命は24〜29年。要介護の期間を5年くらいと考えたときの健康余命※は19年〜25年はあり、科学の進歩を考えるとさらに伸びちゃうんじゃないの?というわけで、私のムスコ世代である今の20代30代が50代になるころには、この辺がはっきりして来るのではないかなと最近感じています。
それを確かめることが、現在の私のアーリーリタイアのモチベーションでもあります。
<12/13追記 健康余命について>
※よく、巷に出ている、平均健康寿命は、ゼロ歳時点での健康余命=生まれてから死ぬまでの間の不健康期間を平均寿命から差し引いたものであって、実態の老後の不健康期間より長めに出てしまうという指摘があります。(ご参考:健康寿命に関する2つの誤解(ニッセイ基礎研究所)) なので、要支援〜要介護の期間を老後の不健康期間の目安とする方がより現実に近いと考えます。もちろん、ひとによって、健康余命にも大幅な差があるのはいうまでもありません。
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