人生後半戦の収入と支出の関係を考える
前回の続きです。エントリーの日経さんの記事です。
人生における収入と支出の関係
この記事では、人生における勤労収入と支出の関係を次の3つの状態に分けて整理されていました。
(1)勤労収入 > 支出 〜60歳(定年)
(2)勤労収入 = 支出 60歳(定年)〜65歳(年金受給開始)
(3)勤労収入 < 支出 65歳(年金受給開始)〜
さすがフィデリティの退職・投資教育研究所さん、非常にわかりやすい整理です。
アーリー(セミ)リタイアした私の場合
記事では、「勤労収入」と「支出」という分析になっていましたが、本エントリーでは、勤労収入以外の年金やその他雑所得等々をひっくるめて、「収入」と「支出」の関係に直して、私の場合を整理してみました。
(1)収入 > 支出 〜セミリタイアまで
(2)収入 < 支出 セミリタイア中
(3)収入 = 支出 年金受給〜
一般論として、失職したら生活防衛資金が支えになるわけですが、私の場合、その期間が10年ちょっと分という考え方です。老後は、基本は年金収入だけで生きていこうと思っているんですよね。運用収益はオプションイメージ。
私としては、次のように整理してます。公的な社会保険制度にかなりウェイトを置いている日本ならではの考え方です。
- 終身型年金を最大化し(繰り下げ、夫婦合算など)、老後はその枠で死ぬまで生きる。
- つまり、年金受給開始まで生きる生活費プラスアルファが稼げたら、とりあえず、勤労終了可能。「長さのわからない長生きリスクの問題が、有限のお金の問題に置換されたわけです(拙著p168より)」
- でも、もったいないから、もっと「楽しく」はたらき続け、その分「楽しく」消費する。(できたら、それはそれでいいなあ)
「楽しく」がポイントです。そして、それは、私の場合、まかり間違ってもサラリーマンという形態ではありません。
後期高齢者になったら
私の場合、75歳(後期高齢者)以降も、私が生きている間は、使いながら運用する予定です。ただし、運用と言っても完全にほったらかしにする方法論で、配当収益をお小遣いにして、後はそのまま遺産みたいなイメージです。
私の死後ないしは私が認知症等になったら、妻またはムスコに引き継ぎ、使うだけの時代に移行してもらおうと思ってるんですよね。ここは「目下、研究中なり」です。
コメント
老後に関しては、年金が最大の不確定要素だと考えています。
70歳までの雇用を義務付けの後は、間違いなく70歳年金支給がデフォルトになると思います。
それが何時になるかは分かりませんが、そう遠くないうちに、実施されるだろうと踏んでいます。
その時は、65歳支給は繰り上げ支給扱いになり、額がかなり減らされるではないかと危惧しています。
後は、在職老齢年金の強化でしょうか。
私は、ねんきんネットで試算した年金の6割の金額を想定しているのですが、最近はこれでも危ないかなと考え始めています。
あまり、深刻に考えても仕方ないとは思っていますが、セミリタイアを考えている身としては、最悪の少し手前を想定して資金計画を練っておくくらいがちょうどいいかなと考えています。
投稿: 見知らぬ男 | 2018年10月28日 (日) 12時16分
年金や健康保険は、保険料を真面目に納めたとしても、この状態ですから、本気で心配したら当てにならないという事になりませんか。
年金が不十分で、困窮した高齢者の生活保護受給者は過去最高だし、身分が不安定なまま高齢者になって帰国も出来ない外国人も国が面倒を見ています。今後も増えるでしょう。結局、働けるだけ働いて保険料を納めても、ダメな時がくれば、誰だって国が面倒を見るしかないから。
まあそんな事にならないように金融庁がNisaに力を入れてるわけです。まずは健康で、自力で積立てるしかないですね。
投稿: M | 2018年10月28日 (日) 14時21分
みなさまコメントありがとうございます。
> 見知らぬ男様
>あまり、深刻に考えても仕方ない
これは、セミリタイアすべき人とそうではない人を決める最も重要な特性と私は考えます。
心配でしょうがないひとには、70歳とか75歳まで働くのがオススメです。
あと、未来を心配すべきは、年金と言うより、介護ですね。
>M様
>まあそんな事にならないように金融庁がNisaに力を入れてる
金融庁だけではなく、世界一優秀な我が国の官僚は、民間の有識者とも連携しながら、国民不安が爆発しないようにあれこれ知恵を出していると私は思ってます。というか、国民の智恵のレベルが国家の智恵のレベルなんです。金融庁にお邪魔してお話を伺ううちに私は割とポジティブに考えるようになりました。
投稿: NightWalker | 2018年10月28日 (日) 18時57分