アーリーリタイアと空気感
アーリーリタイアしてから、あまり意識しなくなったことに、「空気を読む」があります。
空気を読まなくなった
アーリーリタイアしてから気が付いたのは、「空気を読まなくなったなあ」ということ。
以前は、「空気を読め」みたいな雰囲気になることもあったのですが、最近では、同じように発言したつもりでも、「自由だなー」とか「天然だなー」とか、「まあ、かわいい」とか、そう言う反応になることが多いんですよね。
場の力学というのはたしかにあって、今でも意識はしているつもりなんですが、意識しなくても良くなったというか。
考えられるのは、
(1)そもそも、空気を読まなきゃいけないような感じの人とは会わない
(2)そもそも、空気を読む必要のある集団には属していない
(3)自称フリーランスの失職状態に見えるらしいので、みんな、やさしく接してくれている
あたりですかね。
自由とは失うものが何もないこと
よく、リタイア後の問題として「孤独」と言うのが指摘されますが、孤独だと困るのは、介護状態になって誰も面倒を見てくれないしオカネもない、みたいな状態であって、孤独そのものが悪いわけではないようにも思います。孤独が好きな人もいるでしょうし、誰しも一人の時間は大切です。
空気を読むという行為が求められるのは、その組織を維持するための本能みたいなものです。そんなのなくなってもいい、というか、組織に属していなければ失うものはありません。私は、もはや会社員ではないし、配偶者が責任ある政治家だったりはしませんので、この辺からは解放されています。自由でいたければ、こういうのを捨てちゃわないと、現実的にはむずかしいですよね。
ジャニス・ジョプリンの「Me and Bobby McGee」と言う曲に「自由とは失うものが何もないこと(Freedom's just another word for nothin' left to lose)」という歌詞があります。これは、なかなか共感する言葉です。
でも、アーリーリタイアしたくらいでは、まだまだ、その境地には達することはできないかな。やはり、自由なようでいて、どこかに失ってしまっては困るものがある感じも残る今日この頃なのでした。
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