一生遊んで暮らしたい
私の数少ないLINEスタンプの中に使いたいが使えないというスタンプがあります。それが、「一生遊んで暮らしたい」というスタンプ。(画像を貼るのは権利問題を考えやめておきます。こちらから探してみてください。)
「一生遊んで暮らしている感」がなぜかない
さて、アーリーリタイアしたんだから、「一生遊んで暮らしたい」は、とうに実現できているんじゃないの?と思われるかもしれません。それを夢見て、アーリーリタイアを目指している方もいらっしゃるでしょう。
しかし、世間的には、そういう状態以外の何物でもないはずなのですが、アーリーリタイアの不思議現象なのか、いざ、完全アーリーリタイアしたというのに、そうなっていない感じがするんです。
いくつか、要因を書き連ねてみると、
- 家にいると、介護対応があったりして仕事感がある。
- 最低限の社会的活動(たとえば、今で言えば確定申告)が妙にストレス。
- アーリーリタイアしてやろうと思っていた遊びになぜか仕事感を感じて、進まない。
- つい、全然、違うことをしてしまう。(現代社会に退屈の二の字はない、と言うのが持論ですので、いくらでも、ぐたぐた遊ぶことは可能です。)
- そもそも、サバティカルの期間が、1年くらいでは、足りない気がしてきた。
- そうだ。何もしないをするべきだ。
なんてすばらしい堕落の世界。
「遊ぶ」は「働く」があるから成立する?
ここまで考えて気が付いたのですが、「遊ぶ」という行為は、「何か働いているということ」の対価として存在しているのではないか、ということです。
てなわけで、遅ればせながら今年の目標として、今後、私がこれまで考えていた「遊び」を、「ホントの遊び」と「実は仕事」に分けて管理してみようかと思っております。
たとえば、ブログを書く、とか、音楽関係のことをやるというのは、サラリーマン時代は、完全に「遊び」でしたが、アーリーリタイア後は、「仕事」として再定義するわけです。よく考えてみれば、ブログを書くのはライター業ですし、音楽もしかり。本格的に売れないライター&音楽家になってやろうと思います。稼がなくても死なないのが、アーリーリタイアの強み。
とりあえず、言っとかないと、また、ぐたぐたになりそうなので、ここに決意表明してみる次第なのでした。
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