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2018年1月11日 (木)

人生の長さについて

人間には、わからないものがあります。そのひとつが人生の長さです。お金に関してみても、ここには、いくつかの意味合いが含まれています。2つほど考えてみました。

論点その1 年金払い損

これは、仕方がない、というのが私の考え。だって、長生き保険だから。年金は、保険であって、貯金ではないのです。

保険というのは、払い損になるかもしれないが、いざというときのために入るものです。年金は、長生きしたとき(老齢年金)、早世して残された家族がいたとき(遺族年金)、個人の貯金では不可能な金額を社会全体で支える。そんな役割を果たす社会保険なのです。

「強制的に入るのが気に入らない」と言う考え方もありますが、「強制的に入り国家が支えているからできる」という面もあります。

民間の生命保険が要らないと言える理由が、「だって年金があるから」というのは、少々、皮肉な現実ではあります。「生命保険自体は必要だが、あんまり保険金が積み上がっていない若い頃を除けば、たくさん支払っている公的年金だけで十分ではないか」というわけです。

健康保険も同じ構図の中にあります。

論点その2 お金の貯め損

「長い間、働いて来て、一生懸命お金を貯めて、ようやく、自分の時間ができたと思ったら、、、、」というお話です。

私の考え方は、だからこそ「やりたいことは今やる」です。

やりたいと思っていることを、明日もやりたいと思える保障はない

のです。

これは、アーリーリタイアして、確信することになりました。アーリーリタイアすると、時間がいくらでもあるせいなのか、サラリーマンの頃にやりたかったことは、そうでもなくなり、別のことをやってたりするのです。人間の好奇心とは不思議です。

私が、こういう考え方をするようになったのは、30代前半の頃、60代前半の父が、再雇用先を退職したとたんに脳内出血で倒れたときから。幸い、一命は取りとめたものの不自由な生活をすることになりました。

それ以来、会社以外の活動のチャンスがあったとき、やる方向で考えるようになったのです。オーバー40くらいから、その活動は広がり、さらに10年以上の時を経て、アーリーリタイアしたときの糧になっています。

とは言え、サラリーマンって、結局、時間は限られているので使えるお金も限界があります。蓄財も、ほどほどであれば、共存できるのです。(もちろん、やりたいことが、浪費である場合は除きます。)

今回上げた2つの視点は、「有限の人生なのに長期投資」という非合理性とも重なります。私は、そういう非合理性、好きですけどね。

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