人生の長さについて
人間には、わからないものがあります。そのひとつが人生の長さです。お金に関してみても、ここには、いくつかの意味合いが含まれています。2つほど考えてみました。
論点その1 年金払い損
これは、仕方がない、というのが私の考え。だって、長生き保険だから。年金は、保険であって、貯金ではないのです。
保険というのは、払い損になるかもしれないが、いざというときのために入るものです。年金は、長生きしたとき(老齢年金)、早世して残された家族がいたとき(遺族年金)、個人の貯金では不可能な金額を社会全体で支える。そんな役割を果たす社会保険なのです。
「強制的に入るのが気に入らない」と言う考え方もありますが、「強制的に入り国家が支えているからできる」という面もあります。
民間の生命保険が要らないと言える理由が、「だって年金があるから」というのは、少々、皮肉な現実ではあります。「生命保険自体は必要だが、あんまり保険金が積み上がっていない若い頃を除けば、たくさん支払っている公的年金だけで十分ではないか」というわけです。
健康保険も同じ構図の中にあります。
論点その2 お金の貯め損
「長い間、働いて来て、一生懸命お金を貯めて、ようやく、自分の時間ができたと思ったら、、、、」というお話です。
私の考え方は、だからこそ「やりたいことは今やる」です。
やりたいと思っていることを、明日もやりたいと思える保障はない
のです。
これは、アーリーリタイアして、確信することになりました。アーリーリタイアすると、時間がいくらでもあるせいなのか、サラリーマンの頃にやりたかったことは、そうでもなくなり、別のことをやってたりするのです。人間の好奇心とは不思議です。
私が、こういう考え方をするようになったのは、30代前半の頃、60代前半の父が、再雇用先を退職したとたんに脳内出血で倒れたときから。幸い、一命は取りとめたものの不自由な生活をすることになりました。
それ以来、会社以外の活動のチャンスがあったとき、やる方向で考えるようになったのです。オーバー40くらいから、その活動は広がり、さらに10年以上の時を経て、アーリーリタイアしたときの糧になっています。
とは言え、サラリーマンって、結局、時間は限られているので使えるお金も限界があります。蓄財も、ほどほどであれば、共存できるのです。(もちろん、やりたいことが、浪費である場合は除きます。)
今回上げた2つの視点は、「有限の人生なのに長期投資」という非合理性とも重なります。私は、そういう非合理性、好きですけどね。
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コメント
少子高齢化による労働力不足で、国は70歳~75歳まで働かせる気満々です。
何も考えずに働いていると、健康寿命を全て労働に吸い取られてしまいます。
金と時間のバランスを考えて、どっかで折り合いをつけてフルタイムの仕事に見切りをつけて、セミリタイアしないといけないなと考え始めています。
投稿: 見知らぬ男 | 2018年1月20日 (土) 09時45分
>見知らぬ男様
コメントありがとうございます。
セミリタイア計画中なんですね。すばらしい!
セミリタイア成功の秘訣の一つに、「国の施策に感謝すること」があります。ここに気付けるかどうかで、ずいぶん違います。
投稿: NightWalker | 2018年1月20日 (土) 14時33分