リタイア後になぜ喪失感があるのかについて
リタイア後、会社を辞めたことによって、喪失感があって、一気に老けちゃうと言うような話を耳にすることがありますが、私、セミリタイヤした時、そう言うのをあまり感じませんでした。
完全リタイアの期間が短かったせいもありますが、別な理由があります。
実は、セミリタイアする10年くらい前から、この点について確信を持って行動してきたという想いがあるからです。
さて、まず、この図です。
マズローの欲求5段階。あまりにも有名なので、解説は省きます。
あるサラリーマンが、順当に人生のコマを進めていったとしましょう。
すると、まず、手に入るのが、生理的欲求と安全欲求。
サラリーがもらえて、ご飯を食べることができるようになり、住むところができます。つみたて投資で将来に向けた蓄えだってできます。現代は、大昔の人が苦労して手に入れていたことをサラリーマンになることで比較的簡単に達成することができます。
次に、会社に帰属しているという意識の芽生えともに社会的欲求が得られ、段々、歳を取ってくると、出世するしないにかかわらず、なんとなく尊敬欲求(承認欲求)が得られ、レベルの差こそあれ、自己実現欲求も満たされます。
サラリーマン。なんて、すごいんだ。
ところが、会社に対する依存度が高いサラリーマンの場合は、リタイアにより、一気に、社会的欲求以上を失ってしまうことがあります。なぜなら、その人にとっての社会的欲求や尊敬欲求(承認欲求)や自己実現とは、その会社に在籍することだったからです。
私が、喪失感を感じなかった理由は、この社会的欲求以上の段階を、いつの間にか、ある部分はもともと、会社以外に求めていたからでした。
- 40を超えた当たりから、会社以外の活動が膨らみ、会社以外の人脈が、会社のそれよりも多くなった。
- そのコミュニティの中での自分のポジションができてきた。
- そもそも、私の自己実現とは、「自由」であり、会社にいることが必ずしも自己実現ではなかった。
そんなところです。
20代、30代は、一般論として必死に仕事をした方がいいとは思いますが、オーバー40くらいからは、意識しても良いかもしれませんね。
ところで、晩年のマズローは、自己実現の更に次の段階として、「自己超越」というのを考えていたそうです。
目的の遂行・達成だけを純粋に求め、見返りも求めず、欲もなく、ただただひたすら精進する
という、いわば、悟りの境地です。
残念ながら、私はそこまでは行ってません。初級仙人ぐらいでは、まだまだ修行が足りないようです。
コメント